2019年06月11日
明智光秀生誕地+菜園
来年、NHKの大河ドラマは、明智光秀。 ドラマは20歳から始まるようです。 生誕から始まらないのは、それまでは不詳!歴史的に残された物が無いとされていました。 多賀の建築会社の方が、自宅の蔵整理をされたら、古文書が沢山出て来て、戦国時代の豪族の事柄を記した文書なども出て来て、孤軍奮闘され解読された結果、多賀の市街地から東に6kmぐらい入った佐目の集落で、神社の入り口近くに、十兵衛屋敷跡があると、口述され続けて、現在に至っている事が、解ったようです。
神社仏閣を恐れず、天皇家も視野におかなくなりつつある信長を討った明智光秀十兵衛! 主君を打った反逆者のレッテル貼られた明智光秀! その真意はわかりませんが、光秀に関わる人達は、口を閉ざして、現在まで、見津(みつでは無くけんず)姓で過ごされてきた事も解って来たようです。 その方々の口述で伝わって来た、十兵衛屋敷跡はここ!と、言う場所も見つかっています。
さてさて、多賀町には面白い場所が、見つかったようで、大変楽しみです。
アシスト付き自転車を購入しましたので、1回目の自転車徘徊に出かけて来ました。 市街地から上りばかりの道を約6km、2回目の大きな坂道を上りきり、下って行くと佐目の集落が眼下に見えてきます。 突き当たりを右に曲がる(国道306号線)と、神社が左手に見え、神社の方向に進みます(国道から別れます)と、神社のふもとが、光秀公生誕地です。
帰りは、佐目に行くまでに永源寺方面行く道があり、そこを通って、1本南側の川相(かわない)、大滝を通って帰って来ました。
ほとんどが、下りの道路で、大変快適な走行でした。 約17kmで、下りは、ほとんどアシストを切っていましたので、電池の使用は6割でした。
本日のルート

多賀の町中から、上りが続きます。

2回目の坂を下れば、佐目の集落です。

このお社(十二相神社)の入り口左が生誕地

案内柱が建てられました。

快適な走行でした。

池が井戸に変わりました。

永源寺方向に走って帰ってきました。

霜ヶ原の集落 この地上からびわこが一望出来るとの事です。戦国時代は、重要な拠点の匂いが漂います。

川相の集落

夕方、ニンニクを起こした処、2個を収穫しました。

茄子も、あと少しで収穫出来そうです。

カボチャは大きくなるかな?

神社仏閣を恐れず、天皇家も視野におかなくなりつつある信長を討った明智光秀十兵衛! 主君を打った反逆者のレッテル貼られた明智光秀! その真意はわかりませんが、光秀に関わる人達は、口を閉ざして、現在まで、見津(みつでは無くけんず)姓で過ごされてきた事も解って来たようです。 その方々の口述で伝わって来た、十兵衛屋敷跡はここ!と、言う場所も見つかっています。
さてさて、多賀町には面白い場所が、見つかったようで、大変楽しみです。
アシスト付き自転車を購入しましたので、1回目の自転車徘徊に出かけて来ました。 市街地から上りばかりの道を約6km、2回目の大きな坂道を上りきり、下って行くと佐目の集落が眼下に見えてきます。 突き当たりを右に曲がる(国道306号線)と、神社が左手に見え、神社の方向に進みます(国道から別れます)と、神社のふもとが、光秀公生誕地です。
帰りは、佐目に行くまでに永源寺方面行く道があり、そこを通って、1本南側の川相(かわない)、大滝を通って帰って来ました。
ほとんどが、下りの道路で、大変快適な走行でした。 約17kmで、下りは、ほとんどアシストを切っていましたので、電池の使用は6割でした。
本日のルート

多賀の町中から、上りが続きます。

2回目の坂を下れば、佐目の集落です。

このお社(十二相神社)の入り口左が生誕地

案内柱が建てられました。

快適な走行でした。

池が井戸に変わりました。

永源寺方向に走って帰ってきました。

霜ヶ原の集落 この地上からびわこが一望出来るとの事です。戦国時代は、重要な拠点の匂いが漂います。

川相の集落

夕方、ニンニクを起こした処、2個を収穫しました。

茄子も、あと少しで収穫出来そうです。

カボチャは大きくなるかな?
