2010年10月30日
大当たり!
1週間ほど前に、団地のガスを供給されている坂本油化さんのリフォームイベントの広告が入っていて、我が家の給湯器(18年使用)も、ぼちぼち取り替え時期?(水が漏れている雰囲気)との思いで、イベントを覗きに行って来ました。
ホームセンター等へも行って、情報収集をとの思いもあって、あまり乗り気(購入する気)は無かったのですが、たこ焼きやフランクフルトの販売、カレーの試食と、家庭的なイベントで色々話を聞くうちに、好条件を提示して戴き、抽選にも参加できると、注文書をきってしまいました。
まぁー、色々探し回っても、そんなに変わることは無いかな?との思いと、日頃、使っているガス会社で買っておけば、機器の調子が悪くなっても直に来て貰えるかな?との思いからです。
帰り際に、抽選には強くない二人、どちらが引くか? 言い合いをしていましたが、結局、紅峰が引くことになり、気合いもろとも三角時くじを引いたところ、何と開けてびっくり、1の数字が書かれていました。 1等でした。
特等 20インチテレビ 1本。 1等 1万円のギフト商品 3本。2等・・・・

抽選会では、参加賞ばかりの紅峰でしたが、坂本油化さんでは1等を引き当て、大喜びの紅峰でした。 安野 俊丸・紅峰
ホームセンター等へも行って、情報収集をとの思いもあって、あまり乗り気(購入する気)は無かったのですが、たこ焼きやフランクフルトの販売、カレーの試食と、家庭的なイベントで色々話を聞くうちに、好条件を提示して戴き、抽選にも参加できると、注文書をきってしまいました。
まぁー、色々探し回っても、そんなに変わることは無いかな?との思いと、日頃、使っているガス会社で買っておけば、機器の調子が悪くなっても直に来て貰えるかな?との思いからです。
帰り際に、抽選には強くない二人、どちらが引くか? 言い合いをしていましたが、結局、紅峰が引くことになり、気合いもろとも三角時くじを引いたところ、何と開けてびっくり、1の数字が書かれていました。 1等でした。
特等 20インチテレビ 1本。 1等 1万円のギフト商品 3本。2等・・・・

抽選会では、参加賞ばかりの紅峰でしたが、坂本油化さんでは1等を引き当て、大喜びの紅峰でした。 安野 俊丸・紅峰
2010年10月26日
無事にクリア?
昨日(25日)の丁度お昼に、対外排出していた膵管を抜いて戴き、自宅に帰っても「熱出るな!! 熱出るな!!」と、念じていた俊丸です。
一晩明けた朝、「熱はなし。仕事に行ける。」と、出かけて来ました。
勤務先でも特段体調も悪くなく、主治医の先生が言われた二日を、無事に過ごせそうです。
バンザーイ! ばんざーい!! 万歳!!!
安野 俊丸
一晩明けた朝、「熱はなし。仕事に行ける。」と、出かけて来ました。
勤務先でも特段体調も悪くなく、主治医の先生が言われた二日を、無事に過ごせそうです。
バンザーイ! ばんざーい!! 万歳!!!
安野 俊丸
2010年10月25日
最後の一つ
8月25日の手術日以来、2ヶ月間、体外排出していました膵液のくだを本日抜いて戴きました。
長かったですねェー。 お腹からパイプが出てきて、その先にはボトルをぶら下げ、生活していました。
寝るときも一定方向しか寝返りがうてず、今日が来るのを指折り数えていました。
手術後は体内から膿や廃液を放出するために5本のくだが出ていました。酸素マスク用、点滴、脊髄麻酔と小便用の管。
数えたら9本がぶら下がっていました。それが、一つずつ無くなっていき、退院の時には、いまの膵液の管だけになっていました。
先生曰く、「膵液は消化液で結構強く、膵管を小腸に縫合した部分を溶かしてしまおそれがあります。念の為にもう一ヶ月辛抱して体外排出しておいて下さい。」
それも、今日で最後。 ばんざーい!!
抜かれる時は、少し緊張した俊丸でした。
パイプも2ヶ月入っていましたので、少し体内にくっついている感じで、お腹の中でグニュ・グニュ動く感じが伝わって来たと思ったとたん、スコッと抜けた感じが伝わり、思わず「先生、抜けました?」と、声を出した俊丸でした。
「はい、抜けました。後は消毒してガーゼを被せておきます。」
今日・明日で熱が出なかったら大丈夫ですとの先生の言葉を聞きながら、「熱出るな!!」と念じる思いで病院を後にした俊丸でした。
長かったですねェー。 お腹からパイプが出てきて、その先にはボトルをぶら下げ、生活していました。
寝るときも一定方向しか寝返りがうてず、今日が来るのを指折り数えていました。
手術後は体内から膿や廃液を放出するために5本のくだが出ていました。酸素マスク用、点滴、脊髄麻酔と小便用の管。
数えたら9本がぶら下がっていました。それが、一つずつ無くなっていき、退院の時には、いまの膵液の管だけになっていました。
先生曰く、「膵液は消化液で結構強く、膵管を小腸に縫合した部分を溶かしてしまおそれがあります。念の為にもう一ヶ月辛抱して体外排出しておいて下さい。」
それも、今日で最後。 ばんざーい!!
抜かれる時は、少し緊張した俊丸でした。
パイプも2ヶ月入っていましたので、少し体内にくっついている感じで、お腹の中でグニュ・グニュ動く感じが伝わって来たと思ったとたん、スコッと抜けた感じが伝わり、思わず「先生、抜けました?」と、声を出した俊丸でした。
「はい、抜けました。後は消毒してガーゼを被せておきます。」
今日・明日で熱が出なかったら大丈夫ですとの先生の言葉を聞きながら、「熱出るな!!」と念じる思いで病院を後にした俊丸でした。
2010年10月23日
定例練習会
3ヶ月ぶりに練習会に出かけました。
9月は、退院の挨拶がてら練習会に出かけたのですが、参加者が少なく、寂しい雰囲気でした。
今回は、事前に見学したいとメールを戴いた方が二人おられ、活気のある雰囲気でした。
技の確認を一通り終え、音楽をつけての踊りの練習に入ったのですが、身体が反応しません。
やはり、日頃の練習が如何に大事か?を実感した俊丸でした。
もう1回、最初からと言い直し、何とか1回目をクリアし、2回、3回と練習するうちに身体が動き出して来たのですが、今度は体力がついていかず、栗野さんにバトンタッチ。
術後2ヶ月ぐらいでもあり、みなさんと一緒に踊れる喜びを味わった練習会でした。
ほほえみ流南京玉すだれ
家元 安野 俊丸・紅峰
ほほえみ玉すだれ同好会→http://www.eonet.ne.jp/~tosimaru/menu/menu.htm
9月は、退院の挨拶がてら練習会に出かけたのですが、参加者が少なく、寂しい雰囲気でした。
今回は、事前に見学したいとメールを戴いた方が二人おられ、活気のある雰囲気でした。
技の確認を一通り終え、音楽をつけての踊りの練習に入ったのですが、身体が反応しません。
やはり、日頃の練習が如何に大事か?を実感した俊丸でした。
もう1回、最初からと言い直し、何とか1回目をクリアし、2回、3回と練習するうちに身体が動き出して来たのですが、今度は体力がついていかず、栗野さんにバトンタッチ。
術後2ヶ月ぐらいでもあり、みなさんと一緒に踊れる喜びを味わった練習会でした。
ほほえみ流南京玉すだれ
家元 安野 俊丸・紅峰
ほほえみ玉すだれ同好会→http://www.eonet.ne.jp/~tosimaru/menu/menu.htm
2010年10月08日
本日職場復帰しました
8月20日以来、実に7週間ぶりの職場、再び、職場のみなさん方と、一緒に仕事が出来る喜びを噛みしめた一日でした。
まぁー、何と申しますか? 人生最大のピンチを5月半ばに宣告され、8月中旬に高熱が出て、ついに手術を早める事を決め、8月23日入院、25日手術、朝9時に手術室に入り、出てきたのは午後の9時、12時間に及ぶ手術だったようです。
妻や息子達家族には、多大な不安な時間を過ごさせる事になってしまいました。
その後、三日間は39度近くに上がる熱との闘い、昼に、夕に見舞ってくれる献身的な妻の看護、休みの度に訪れてくれる子供達の家族、親戚・職場・玉すだれのみなさん方のお見舞いに、癒され続けた闘病生活でした。
膿を排出するパイプを抜いてからの四日は、再び高熱に悩まされ、1日2回の解熱剤生活。
パイプ跡から再び膿が吹き出て、再度、排出チューブを挿入して戴いた。
膿が出始めれば、高熱も治まり順調な回復期を過ごし、9月22日、術後4週間で退院する事が出来ました。
今日は休日では?と、思っていた夕方や外来の始まる前に、「どうですか?」と病室を訪れて下さった主治医の先生、こんな時間にと思うような時に、体調を気遣って戴いた外科科長の先生、そして、一日24時間、4週間、お世話戴きました看護師の皆様方に、篤くお礼申し上げます。
私は、5月に地元の病院で、下部胆管癌であると宣告され、細胞の採取の検査では、『悪性の因子は見つからなかったが、良性であるとは言い切れない。このような場所に出来ていて悪性の因子が見つからないのは、全国的にも珍しい。』と、地元の病院での診察結果で、『内視鏡でのかき出しは、中に悪性因子がいた場合、体内に悪性因子をばら撒く事になり、手術による削除しか方法は無い。』との事で、『いつから入院されますか?』との言葉に、まだ大きくなるのか?を確かめたいと7月まで保留した。
聞けば聞くほど、たいそうな手術である事が解り、地元の病院では年に1回あるかどうかぐらいの手術であることも判った。
7月17日、再度、地元の病院でCTスキャンを受けたところ、下部に出来た腫瘍で胆管がストロー状態まで膨れあがり、『肝臓へ逆流して肝臓が先に悪くなってしまいそうである。そうなる前に、元気なうちに手術すべきである。』との強い助言に、ついに手術を受ける決意をした俊丸でした。
そして、隣街にあります県立成人病センターへの紹介状を書いて戴き、7月23日同センターを訪れたのでした。
その時でも、手術を受けるにしても、正月を家で迎えられる11月下旬ぐらいで良いか?又は、仕事の都合を思えば、来年の4月頃の方が良いか?と、好き勝手に話をしていた俊丸でしたが、外科科長の先生曰く、『貴方の状態は、1週間先、2週間先に手術しなければならない状態ですよ。』と、ぴしゃり。
『本当にそんなに悪いのか?』と、驚愕する俊丸でした。
血液のある数値が悪いだけで、お腹が痛いとか?手や足がむくむとか?自意識はまったくありませんでした。
『熱が出た。褐色の尿が出た。白眼が黄色くなって来た。こんな状態になれば、直ぐに来るように!』と、話され手術を前提の検査を、8月中旬に予約して帰って来たのですが、冒頭に記したように、39度近くの高熱が出て、手術を早める事になってしまいました。
結果的には、先延ばししていても良くなる事は無く、摘出した胆嚢・胆管・十二指腸・膵臓前頭部の病理検査によって、胆管の腫瘍に悪性の因子が存在していた(ステージⅠ)が、他に散らばる前に摘出して戴いたので、命拾いしました。
ばんざーい!・バンザーイ!・万歳!!
職場復帰するに際しては、当然、主治医の先生の『仕事が出来る。』との診断書が必要ですが、職場での産業医の先生の面談も必要です。
昨日(7日)に面談を受けたのですが、先生が開口一番、「よくぞ、復帰されて来ましたね!!」と、話され、「主治医の先生、外科科長の先生、看護師のみなさん、そして、妻、家族、私の周りのいろんな方々のおかげです。」と、すなおな気持ちで話している俊丸でした。
多くの皆様方から戴きましたご厚情に背く事無く、健康に留意して生活して参りますので、今後とも、宜しくお願い申し上げます。
安野俊丸
1ヶ月お世話になった病室

毎日自宅の方角の近江富士を眺めていました。

まぁー、何と申しますか? 人生最大のピンチを5月半ばに宣告され、8月中旬に高熱が出て、ついに手術を早める事を決め、8月23日入院、25日手術、朝9時に手術室に入り、出てきたのは午後の9時、12時間に及ぶ手術だったようです。
妻や息子達家族には、多大な不安な時間を過ごさせる事になってしまいました。
その後、三日間は39度近くに上がる熱との闘い、昼に、夕に見舞ってくれる献身的な妻の看護、休みの度に訪れてくれる子供達の家族、親戚・職場・玉すだれのみなさん方のお見舞いに、癒され続けた闘病生活でした。
膿を排出するパイプを抜いてからの四日は、再び高熱に悩まされ、1日2回の解熱剤生活。
パイプ跡から再び膿が吹き出て、再度、排出チューブを挿入して戴いた。
膿が出始めれば、高熱も治まり順調な回復期を過ごし、9月22日、術後4週間で退院する事が出来ました。
今日は休日では?と、思っていた夕方や外来の始まる前に、「どうですか?」と病室を訪れて下さった主治医の先生、こんな時間にと思うような時に、体調を気遣って戴いた外科科長の先生、そして、一日24時間、4週間、お世話戴きました看護師の皆様方に、篤くお礼申し上げます。
私は、5月に地元の病院で、下部胆管癌であると宣告され、細胞の採取の検査では、『悪性の因子は見つからなかったが、良性であるとは言い切れない。このような場所に出来ていて悪性の因子が見つからないのは、全国的にも珍しい。』と、地元の病院での診察結果で、『内視鏡でのかき出しは、中に悪性因子がいた場合、体内に悪性因子をばら撒く事になり、手術による削除しか方法は無い。』との事で、『いつから入院されますか?』との言葉に、まだ大きくなるのか?を確かめたいと7月まで保留した。
聞けば聞くほど、たいそうな手術である事が解り、地元の病院では年に1回あるかどうかぐらいの手術であることも判った。
7月17日、再度、地元の病院でCTスキャンを受けたところ、下部に出来た腫瘍で胆管がストロー状態まで膨れあがり、『肝臓へ逆流して肝臓が先に悪くなってしまいそうである。そうなる前に、元気なうちに手術すべきである。』との強い助言に、ついに手術を受ける決意をした俊丸でした。
そして、隣街にあります県立成人病センターへの紹介状を書いて戴き、7月23日同センターを訪れたのでした。
その時でも、手術を受けるにしても、正月を家で迎えられる11月下旬ぐらいで良いか?又は、仕事の都合を思えば、来年の4月頃の方が良いか?と、好き勝手に話をしていた俊丸でしたが、外科科長の先生曰く、『貴方の状態は、1週間先、2週間先に手術しなければならない状態ですよ。』と、ぴしゃり。
『本当にそんなに悪いのか?』と、驚愕する俊丸でした。
血液のある数値が悪いだけで、お腹が痛いとか?手や足がむくむとか?自意識はまったくありませんでした。
『熱が出た。褐色の尿が出た。白眼が黄色くなって来た。こんな状態になれば、直ぐに来るように!』と、話され手術を前提の検査を、8月中旬に予約して帰って来たのですが、冒頭に記したように、39度近くの高熱が出て、手術を早める事になってしまいました。
結果的には、先延ばししていても良くなる事は無く、摘出した胆嚢・胆管・十二指腸・膵臓前頭部の病理検査によって、胆管の腫瘍に悪性の因子が存在していた(ステージⅠ)が、他に散らばる前に摘出して戴いたので、命拾いしました。
ばんざーい!・バンザーイ!・万歳!!
職場復帰するに際しては、当然、主治医の先生の『仕事が出来る。』との診断書が必要ですが、職場での産業医の先生の面談も必要です。
昨日(7日)に面談を受けたのですが、先生が開口一番、「よくぞ、復帰されて来ましたね!!」と、話され、「主治医の先生、外科科長の先生、看護師のみなさん、そして、妻、家族、私の周りのいろんな方々のおかげです。」と、すなおな気持ちで話している俊丸でした。
多くの皆様方から戴きましたご厚情に背く事無く、健康に留意して生活して参りますので、今後とも、宜しくお願い申し上げます。
安野俊丸
1ヶ月お世話になった病室
毎日自宅の方角の近江富士を眺めていました。