2010年10月08日
本日職場復帰しました
8月20日以来、実に7週間ぶりの職場、再び、職場のみなさん方と、一緒に仕事が出来る喜びを噛みしめた一日でした。
まぁー、何と申しますか? 人生最大のピンチを5月半ばに宣告され、8月中旬に高熱が出て、ついに手術を早める事を決め、8月23日入院、25日手術、朝9時に手術室に入り、出てきたのは午後の9時、12時間に及ぶ手術だったようです。
妻や息子達家族には、多大な不安な時間を過ごさせる事になってしまいました。
その後、三日間は39度近くに上がる熱との闘い、昼に、夕に見舞ってくれる献身的な妻の看護、休みの度に訪れてくれる子供達の家族、親戚・職場・玉すだれのみなさん方のお見舞いに、癒され続けた闘病生活でした。
膿を排出するパイプを抜いてからの四日は、再び高熱に悩まされ、1日2回の解熱剤生活。
パイプ跡から再び膿が吹き出て、再度、排出チューブを挿入して戴いた。
膿が出始めれば、高熱も治まり順調な回復期を過ごし、9月22日、術後4週間で退院する事が出来ました。
今日は休日では?と、思っていた夕方や外来の始まる前に、「どうですか?」と病室を訪れて下さった主治医の先生、こんな時間にと思うような時に、体調を気遣って戴いた外科科長の先生、そして、一日24時間、4週間、お世話戴きました看護師の皆様方に、篤くお礼申し上げます。
私は、5月に地元の病院で、下部胆管癌であると宣告され、細胞の採取の検査では、『悪性の因子は見つからなかったが、良性であるとは言い切れない。このような場所に出来ていて悪性の因子が見つからないのは、全国的にも珍しい。』と、地元の病院での診察結果で、『内視鏡でのかき出しは、中に悪性因子がいた場合、体内に悪性因子をばら撒く事になり、手術による削除しか方法は無い。』との事で、『いつから入院されますか?』との言葉に、まだ大きくなるのか?を確かめたいと7月まで保留した。
聞けば聞くほど、たいそうな手術である事が解り、地元の病院では年に1回あるかどうかぐらいの手術であることも判った。
7月17日、再度、地元の病院でCTスキャンを受けたところ、下部に出来た腫瘍で胆管がストロー状態まで膨れあがり、『肝臓へ逆流して肝臓が先に悪くなってしまいそうである。そうなる前に、元気なうちに手術すべきである。』との強い助言に、ついに手術を受ける決意をした俊丸でした。
そして、隣街にあります県立成人病センターへの紹介状を書いて戴き、7月23日同センターを訪れたのでした。
その時でも、手術を受けるにしても、正月を家で迎えられる11月下旬ぐらいで良いか?又は、仕事の都合を思えば、来年の4月頃の方が良いか?と、好き勝手に話をしていた俊丸でしたが、外科科長の先生曰く、『貴方の状態は、1週間先、2週間先に手術しなければならない状態ですよ。』と、ぴしゃり。
『本当にそんなに悪いのか?』と、驚愕する俊丸でした。
血液のある数値が悪いだけで、お腹が痛いとか?手や足がむくむとか?自意識はまったくありませんでした。
『熱が出た。褐色の尿が出た。白眼が黄色くなって来た。こんな状態になれば、直ぐに来るように!』と、話され手術を前提の検査を、8月中旬に予約して帰って来たのですが、冒頭に記したように、39度近くの高熱が出て、手術を早める事になってしまいました。
結果的には、先延ばししていても良くなる事は無く、摘出した胆嚢・胆管・十二指腸・膵臓前頭部の病理検査によって、胆管の腫瘍に悪性の因子が存在していた(ステージⅠ)が、他に散らばる前に摘出して戴いたので、命拾いしました。
ばんざーい!・バンザーイ!・万歳!!
職場復帰するに際しては、当然、主治医の先生の『仕事が出来る。』との診断書が必要ですが、職場での産業医の先生の面談も必要です。
昨日(7日)に面談を受けたのですが、先生が開口一番、「よくぞ、復帰されて来ましたね!!」と、話され、「主治医の先生、外科科長の先生、看護師のみなさん、そして、妻、家族、私の周りのいろんな方々のおかげです。」と、すなおな気持ちで話している俊丸でした。
多くの皆様方から戴きましたご厚情に背く事無く、健康に留意して生活して参りますので、今後とも、宜しくお願い申し上げます。
安野俊丸
1ヶ月お世話になった病室

毎日自宅の方角の近江富士を眺めていました。

まぁー、何と申しますか? 人生最大のピンチを5月半ばに宣告され、8月中旬に高熱が出て、ついに手術を早める事を決め、8月23日入院、25日手術、朝9時に手術室に入り、出てきたのは午後の9時、12時間に及ぶ手術だったようです。
妻や息子達家族には、多大な不安な時間を過ごさせる事になってしまいました。
その後、三日間は39度近くに上がる熱との闘い、昼に、夕に見舞ってくれる献身的な妻の看護、休みの度に訪れてくれる子供達の家族、親戚・職場・玉すだれのみなさん方のお見舞いに、癒され続けた闘病生活でした。
膿を排出するパイプを抜いてからの四日は、再び高熱に悩まされ、1日2回の解熱剤生活。
パイプ跡から再び膿が吹き出て、再度、排出チューブを挿入して戴いた。
膿が出始めれば、高熱も治まり順調な回復期を過ごし、9月22日、術後4週間で退院する事が出来ました。
今日は休日では?と、思っていた夕方や外来の始まる前に、「どうですか?」と病室を訪れて下さった主治医の先生、こんな時間にと思うような時に、体調を気遣って戴いた外科科長の先生、そして、一日24時間、4週間、お世話戴きました看護師の皆様方に、篤くお礼申し上げます。
私は、5月に地元の病院で、下部胆管癌であると宣告され、細胞の採取の検査では、『悪性の因子は見つからなかったが、良性であるとは言い切れない。このような場所に出来ていて悪性の因子が見つからないのは、全国的にも珍しい。』と、地元の病院での診察結果で、『内視鏡でのかき出しは、中に悪性因子がいた場合、体内に悪性因子をばら撒く事になり、手術による削除しか方法は無い。』との事で、『いつから入院されますか?』との言葉に、まだ大きくなるのか?を確かめたいと7月まで保留した。
聞けば聞くほど、たいそうな手術である事が解り、地元の病院では年に1回あるかどうかぐらいの手術であることも判った。
7月17日、再度、地元の病院でCTスキャンを受けたところ、下部に出来た腫瘍で胆管がストロー状態まで膨れあがり、『肝臓へ逆流して肝臓が先に悪くなってしまいそうである。そうなる前に、元気なうちに手術すべきである。』との強い助言に、ついに手術を受ける決意をした俊丸でした。
そして、隣街にあります県立成人病センターへの紹介状を書いて戴き、7月23日同センターを訪れたのでした。
その時でも、手術を受けるにしても、正月を家で迎えられる11月下旬ぐらいで良いか?又は、仕事の都合を思えば、来年の4月頃の方が良いか?と、好き勝手に話をしていた俊丸でしたが、外科科長の先生曰く、『貴方の状態は、1週間先、2週間先に手術しなければならない状態ですよ。』と、ぴしゃり。
『本当にそんなに悪いのか?』と、驚愕する俊丸でした。
血液のある数値が悪いだけで、お腹が痛いとか?手や足がむくむとか?自意識はまったくありませんでした。
『熱が出た。褐色の尿が出た。白眼が黄色くなって来た。こんな状態になれば、直ぐに来るように!』と、話され手術を前提の検査を、8月中旬に予約して帰って来たのですが、冒頭に記したように、39度近くの高熱が出て、手術を早める事になってしまいました。
結果的には、先延ばししていても良くなる事は無く、摘出した胆嚢・胆管・十二指腸・膵臓前頭部の病理検査によって、胆管の腫瘍に悪性の因子が存在していた(ステージⅠ)が、他に散らばる前に摘出して戴いたので、命拾いしました。
ばんざーい!・バンザーイ!・万歳!!
職場復帰するに際しては、当然、主治医の先生の『仕事が出来る。』との診断書が必要ですが、職場での産業医の先生の面談も必要です。
昨日(7日)に面談を受けたのですが、先生が開口一番、「よくぞ、復帰されて来ましたね!!」と、話され、「主治医の先生、外科科長の先生、看護師のみなさん、そして、妻、家族、私の周りのいろんな方々のおかげです。」と、すなおな気持ちで話している俊丸でした。
多くの皆様方から戴きましたご厚情に背く事無く、健康に留意して生活して参りますので、今後とも、宜しくお願い申し上げます。
安野俊丸
1ヶ月お世話になった病室
毎日自宅の方角の近江富士を眺めていました。
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私は俊丸
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