2021年10月27日

弾丸お墓参り

 紅峰さんは、大阪生まれの大阪育ち。 ご両親も同様です。
 70歳を越えられた時分に、息子さんが住んでおられる丸亀に引っ越されてしまいました。
 まだ次男が小学校に行き始めた頃かな?
 それからが大変でした。 まだ、瀬戸大橋も無く、山陽道も姫路を過ぎた備前IC当たりまでしか出来ておらず、姫路・神戸間も出来ていいませんでした。今から30年ぐらい前かな?
 中国道福崎ICから播但道、備前ICからは、一般道で宇野へ!宇高連絡船で高松。 まぁー、時間のかかること。
 紅峰さんは末っ子。 お母さんから来い!来い!と、電話がかかって来ます。 
 小学校の夏、冬、春休みには、必ず出かけていました。行くのに1日がかりで、俊丸も三日は休まなければなりません。
 現役バリバリの40代でした。カレンダー通りの休みの仕事でしたので、有休を少なくするように計画すると道路が混み合います。
 その内、瀬戸大橋や、姫路・神戸間も開通しましたが、中国道の西宮北から宝塚間の急傾斜道路区間の難所が有り、渋滞20kmや30kmはざらでした。
 今は、高槻から第二名神が開通しましたので、事故が無ければスイスイ走れるようになりました。
 楽になった頃には、俊丸も70歳になっていました。
 今年は、次男が行くなら運転するよ!(平日休みの仕事をしています。)と、言ってくれたので、楽にお参り出来ました。
 有難いことです。
 コロナウィルス菌がまん延し、9月末まで緊急非常事態宣言がされていた滋賀県、お参りは出来ませんでしたが、行かねば!行かねば!と、2人で話していましたので、胸のつかえが取れました。 やれやれ。

湖東三山から左側の大阪方面     菩提寺PAで次男と合流

後部座席には滅多に座れません。 淡路島を通って香川県へ


この山(讃岐富士)が近づくと丸亀市です。


立派なお墓で、お2人は眠っておられます。


お参りの後、近くのお兄さん宅を訪問して、近況を話し合い午後3時頃から帰って来ました。
淡路SAには五時頃に着き、早めの夕食。

紅峰さん


俊丸はお店一番人気の玉葱のかき揚げ丼。刺身のつまや漬物まで玉葱。生の玉葱も付いて来て、どうして食べる?と、一瞬驚いた俊丸です。下に袋が付いていて、お土産やて!


午後6時ですが、すっかり夜景色です。





 
  


Posted by 私は俊丸 at 23:59Comments(0)生活
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50の手習いで始めた南京玉すだれも令和6年6月で25年が経過します。