2010年12月31日
さようなら平成22年
平成22年も後数時間で終わろうとしています。
当方にとっては、早く終われ平成22年!!との思いが強いです。
年明け早々、義父が亡くなり、2月中旬には当方の調子が悪いことが解り、検査のたびに調子の悪さがあからさまになり、ついにやっかいな手術を受けなければ生きていけない事が判明した。
そんな中、4月には長男夫妻に第二子の長男が生まれ、6月には次男の結婚式と目出度い事も続いたが、終わってしまえば、どうする?手術?と、苦悩に満ちた日が続いた。
ここ30年近く風邪をひいても出たことがない熱が出だし(39度近い)、ついに手術する事を決断したのが、八月初め。
人の臓器を移植しなければ生きて行けない方がおられる中で、自身の臓器を切除することで生きられるなら容易いことか?
こんな心境になるのに三ヶ月かかりました。
そして、8月25日午前9時手術室に入り、背中の脊髄当たりに麻酔の注射が1回、2回、3回、4回、5回、「まだうちますの?」と、声を出したのが最後、当方の意識は消えてしまいました。
それから、家内の姿を見て「ありがとう!」と、声を出したのが12時間後の午後9時過ぎでした。
それから丁度4週間後の9月22日、驚異的な回復で退院することが出来ました。
当方にとっては、8月25日、9月22日は生涯忘れ事のない日になりそうです。
その平成22年が終わろうとしています。

さようなら平成22年! 激動の一年の最後は、大雪の大晦日になりました。 安野 俊丸
当方にとっては、早く終われ平成22年!!との思いが強いです。
年明け早々、義父が亡くなり、2月中旬には当方の調子が悪いことが解り、検査のたびに調子の悪さがあからさまになり、ついにやっかいな手術を受けなければ生きていけない事が判明した。
そんな中、4月には長男夫妻に第二子の長男が生まれ、6月には次男の結婚式と目出度い事も続いたが、終わってしまえば、どうする?手術?と、苦悩に満ちた日が続いた。
ここ30年近く風邪をひいても出たことがない熱が出だし(39度近い)、ついに手術する事を決断したのが、八月初め。
人の臓器を移植しなければ生きて行けない方がおられる中で、自身の臓器を切除することで生きられるなら容易いことか?
こんな心境になるのに三ヶ月かかりました。
そして、8月25日午前9時手術室に入り、背中の脊髄当たりに麻酔の注射が1回、2回、3回、4回、5回、「まだうちますの?」と、声を出したのが最後、当方の意識は消えてしまいました。
それから、家内の姿を見て「ありがとう!」と、声を出したのが12時間後の午後9時過ぎでした。
それから丁度4週間後の9月22日、驚異的な回復で退院することが出来ました。
当方にとっては、8月25日、9月22日は生涯忘れ事のない日になりそうです。
その平成22年が終わろうとしています。
さようなら平成22年! 激動の一年の最後は、大雪の大晦日になりました。 安野 俊丸
Posted by
私は俊丸
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18:43
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