2010年03月31日
ゴール・ゴール・ゴール
本日(平成22年3月31日)、退職辞令を戴きました。
大学を卒業して38年。 勤め先を変わること無く、良くぞ!! この日を迎えられたと感無量です。
勤め先は当時住んでいた地元の○○市役所。 昭和47年4月入職。 民間会社、公団・公社の宅地開発の意欲に、もまれにもまれ、年間に市民が約3万人、増加する異常事態の真ただ中であった。
毎年、小学校を2~3校、中学校を1校開校しなければ、義務教育の義務が果たせない。浄水場の増設や配水池を新設、大口径の水道管を埋設と、最低限の基盤整備に終われに終われていた時代でした。
新入職員も当方の時で、260人ぐらい(昭和21、22、23、24年生まれの職員で約1000人いました。)。 新職研修の施設めぐりに、バスで5~6台で廻ったように思います。 この研修が終わった後、37~8歳ぐらいまで何の研修も無く、働き続けて来たように思います。
当時、民間会社の初任給が7~8万円。 俊丸が入職した市は4万2千円。 民間会社に決まった友人達が、「あほちゃう。同じ1ヶ月働いて、半分ぐらいのとこ、よう行くな!」と、よく言われていました。
安ければ安いなりに生活出来ていましたから不思議です。
中学生時代に見て鮮烈な印象を受けた、吉永小百合さんが出演した映画の「キューポラのある街」をもじって、公務員の本分は、「清く・貧しく・美しく」やぁ。 華美に走らず、海外旅行ブームにも乗り遅れていますが、「明日のお米代は?」と、心配せずにやってこれました。
時代が変わり、今や公務員はエエやん。「給料が高い。休みが多い。もっと民間並みの発想を!」と、バッシングの対象にされ続けていますが、長年勤めて来た身には、「みなさんも公務員になれる機会はあったのでは?」、「給料が安いと言って逃げたのは、だーれ。」と、言いたい思いです。
そして、そのバッシングのおかげで、38年勤めても小さな家一軒、建たない退職金になってしまいました。 トホホ。
こんな風に書くと、「退職金があるだけエエやん。私ら退職金もありません。」と、言葉が飛び返って来ると思いますが、それは自身が決められた判断結果では?
戦後のベビーブームの最後の24年生まれで、小学校は学年6クラス、中学校は学年18クラスで運動会は学年別しか開けない。プールも無し。 高校受験!に大学受験!! 勤め出したら残業、残業、超勤協定何のその。
職場には年上が、約2700人近くもいて、直近には750人近く。 40過ぎてもした働き。 最後はちょっとゆっくりさせて戴きましたが、まぁー、「よう頑張ったなぁ。」と、自分自身を褒めてやりたい思いです。
今年は定年退職が約180名、総勢約240人近くが退職しました。
この日を迎えられず、亡くなった方々。 親の介護で?周りの環境の変化等?でと、早期に退職された方々の顔が走馬灯のように、浮かんでは消えて行きます。
早期に退職される方を「エエなぁ。早いことやめられて!」と、羨んで送りだした事もありました。
その俊丸が、ついにゴールテープを切ることが出来ました。
バンザーイ。バンザーイ。バンザーイ。
さぁー、明日から年金生活!と思いきや、十数年前頃に、昭和24年生まれからは、65歳からに制度変更されてしまいました。
ちなみに、昭和20年生まれの方は63歳から満額貰えます。
年金を貰えるまで、体がもつやろか? 何年、年金を貰えるやろか?と、不安もつのりますが、我々が選んだ議員の方々が決めてしまった事(日本の制度)、不平は言うまいと、明日から心を切り替え、「第二の人生を頑張るぞ!」と、心した俊丸でした。
いつまで、社会を支えなアカンのかなぁー(ちょと、愚痴を言わせて下さい。)
と、言う事で、家内や子供達が食事会をホテルニューオウミの伊ぶきで、企画してくれました。

八幡山を見ながら目の前で、和牛をジュウジュウ焼いてくれるレストランです。
美味しいステーキを食べながら、家族に囲まれながら幸せな思いにひったった俊丸でした。
長男の嫁が臨月と言う事で参加出来なかったのが残念ですが、その分、孫娘が代わって愛嬌を振りまいてくれました。 肉を焼く過程で、一瞬立ち上がる炎を見て、「ウォー」と声を出し、手を叩いて喜んでいました。

まだ、お箸やスプーンも上手に使えない幼児づれなのに、いろいろお世話戴きましたスタッフのみなさん、ありがとうございました。
そして、細やかな心使いをしてくれる家族に感謝!・感謝!。

この家族の為にも、まだ少し頑張らねば?と、心した俊丸でした。
伊ぶき→http://www.newomi.co.jp/omi/restaurant/ibuki/index.html
安野俊丸の南京玉すだれ→http://www.eonet.ne.jp/~tosimaru/

勤め先は当時住んでいた地元の○○市役所。 昭和47年4月入職。 民間会社、公団・公社の宅地開発の意欲に、もまれにもまれ、年間に市民が約3万人、増加する異常事態の真ただ中であった。
毎年、小学校を2~3校、中学校を1校開校しなければ、義務教育の義務が果たせない。浄水場の増設や配水池を新設、大口径の水道管を埋設と、最低限の基盤整備に終われに終われていた時代でした。
新入職員も当方の時で、260人ぐらい(昭和21、22、23、24年生まれの職員で約1000人いました。)。 新職研修の施設めぐりに、バスで5~6台で廻ったように思います。 この研修が終わった後、37~8歳ぐらいまで何の研修も無く、働き続けて来たように思います。
当時、民間会社の初任給が7~8万円。 俊丸が入職した市は4万2千円。 民間会社に決まった友人達が、「あほちゃう。同じ1ヶ月働いて、半分ぐらいのとこ、よう行くな!」と、よく言われていました。
安ければ安いなりに生活出来ていましたから不思議です。
中学生時代に見て鮮烈な印象を受けた、吉永小百合さんが出演した映画の「キューポラのある街」をもじって、公務員の本分は、「清く・貧しく・美しく」やぁ。 華美に走らず、海外旅行ブームにも乗り遅れていますが、「明日のお米代は?」と、心配せずにやってこれました。
時代が変わり、今や公務員はエエやん。「給料が高い。休みが多い。もっと民間並みの発想を!」と、バッシングの対象にされ続けていますが、長年勤めて来た身には、「みなさんも公務員になれる機会はあったのでは?」、「給料が安いと言って逃げたのは、だーれ。」と、言いたい思いです。
そして、そのバッシングのおかげで、38年勤めても小さな家一軒、建たない退職金になってしまいました。 トホホ。
こんな風に書くと、「退職金があるだけエエやん。私ら退職金もありません。」と、言葉が飛び返って来ると思いますが、それは自身が決められた判断結果では?
戦後のベビーブームの最後の24年生まれで、小学校は学年6クラス、中学校は学年18クラスで運動会は学年別しか開けない。プールも無し。 高校受験!に大学受験!! 勤め出したら残業、残業、超勤協定何のその。
職場には年上が、約2700人近くもいて、直近には750人近く。 40過ぎてもした働き。 最後はちょっとゆっくりさせて戴きましたが、まぁー、「よう頑張ったなぁ。」と、自分自身を褒めてやりたい思いです。
今年は定年退職が約180名、総勢約240人近くが退職しました。
この日を迎えられず、亡くなった方々。 親の介護で?周りの環境の変化等?でと、早期に退職された方々の顔が走馬灯のように、浮かんでは消えて行きます。
早期に退職される方を「エエなぁ。早いことやめられて!」と、羨んで送りだした事もありました。
その俊丸が、ついにゴールテープを切ることが出来ました。
バンザーイ。バンザーイ。バンザーイ。
さぁー、明日から年金生活!と思いきや、十数年前頃に、昭和24年生まれからは、65歳からに制度変更されてしまいました。
ちなみに、昭和20年生まれの方は63歳から満額貰えます。
年金を貰えるまで、体がもつやろか? 何年、年金を貰えるやろか?と、不安もつのりますが、我々が選んだ議員の方々が決めてしまった事(日本の制度)、不平は言うまいと、明日から心を切り替え、「第二の人生を頑張るぞ!」と、心した俊丸でした。
いつまで、社会を支えなアカンのかなぁー(ちょと、愚痴を言わせて下さい。)
と、言う事で、家内や子供達が食事会をホテルニューオウミの伊ぶきで、企画してくれました。

八幡山を見ながら目の前で、和牛をジュウジュウ焼いてくれるレストランです。
美味しいステーキを食べながら、家族に囲まれながら幸せな思いにひったった俊丸でした。
長男の嫁が臨月と言う事で参加出来なかったのが残念ですが、その分、孫娘が代わって愛嬌を振りまいてくれました。 肉を焼く過程で、一瞬立ち上がる炎を見て、「ウォー」と声を出し、手を叩いて喜んでいました。

まだ、お箸やスプーンも上手に使えない幼児づれなのに、いろいろお世話戴きましたスタッフのみなさん、ありがとうございました。
そして、細やかな心使いをしてくれる家族に感謝!・感謝!。

この家族の為にも、まだ少し頑張らねば?と、心した俊丸でした。
伊ぶき→http://www.newomi.co.jp/omi/restaurant/ibuki/index.html
安野俊丸の南京玉すだれ→http://www.eonet.ne.jp/~tosimaru/
Posted by
私は俊丸
at
23:09
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生活
この記事へのコメント
退官おめでとうございます。
これからの人生身体に気を付けて活躍下さい。=徘徊おじさん 家に帰れば 下宿人=
ですわ。 お粗末でした。
これからの人生身体に気を付けて活躍下さい。=徘徊おじさん 家に帰れば 下宿人=
ですわ。 お粗末でした。
Posted by 徘徊おじさん at 2010年04月01日 11:16