2020年08月23日
10年前は!
10年前の本日、俊丸は(当時滋賀県成人病センター)入院をしました。
定年を月末に迎えた3月始め、2月に100回目の献血をした結果が届きました。
99回目は血液に何の異常も見られませんでしたが、肝臓の数値が基準の3倍ぐらいの数値でした。
慌てて、近くの医院で、献血結果を話し、もう一度検査をしてもらいました。ところが、まだ悪くなっていて、野洲病院で検査をしたら?と、アドバイスを戴きました。
目前に退職日が迫っているのに、何と言うことか?と、思いながら受診し、エコー検査を受けたところ、胆管下部にでき物が有るのか?異常に膨れ、胆汁が肝臓に逆流して、肝臓を潰しにかかっているのでは?との事でした。
胆管は、途中で肝臓からのパイプが接続し、膵臓の中で膵臓からのパイプが接続し、十二指腸に接続されているようです。
胆管下部ででき物があり、でき物を取る以外に処置が無い! 薬ではでき物を小さく出来ないとの結果を得ました。
5月には、野洲病院で、でき物の細胞を取って調べる検査を受けたところ、悪性との判断は出来ないが、この場所に出来たでき物で、癌で無いとの論文は、今まで無い事。
検査はしたが、十二指腸に繋がっている胆管の中の細胞を採るには、横に入れ無ければならず、検査での採取がうまく出来なかったと考えられる。 削除するしか無い!と、病院の判断でした。
胆管上部なら簡単で、でき物がある上下で切断して、繋げばよいが、下部であるので、大変複雑な手術になること。
野洲病院では、したことが無いとの事で、成人用センターを紹介して戴きました。
7月中旬、成人病センターに出向くと、直ぐに手術、入院は30日から50日ぐらいとの事でした。
しかし、1ヶ月後には紅峰さんのお母さんの、1回忌が予定されていましたので、先生も理解を示され、本日入院になりました。
俊丸は、手術の内容を聞いて、生きて戻れるのは、2~3割ぐらいと、覚悟を決めました。
戦後の人口激増時の最後の24年生まれ、小学校は6クラス、中学校は学年で18クラス。運動会は学年ごとしか開催できません。
高校は12クラス。大学は1学年200名。就職したら昭和21,22,23,24年生まれで1000名を越え、同年代は260名からいました。
3200名ほどの職員で、直近だけで1000名の最後の方!昇格するポストも無く、40歳過ぎまで係員。
いつの世代も、競争!競争!に明け暮れ、何とか?あがいて、退職時には課長級にたどり着きました。
40年近く、必死で働いた結果が、生き死にのかかった手術!何と!残酷な! 神も仏もいないのか?と、思ったものです。
手術は、胆管下部は、膵臓の中を通って、十二指腸に接続されていることから、膵臓の中は、パイプ引き抜けないので、膵臓上部・十二指腸を切除して、新たに膵臓のパイプ、肝臓のパイプを小腸に直接繋ぎ、胃の幽門もついでに切除するとの事。
時間にして、8時間から10時間。 こんな説明を受けて、生きて帰れるなんて、半信半疑! 先生方にお任せするしか無い!
良く今が有るものだと、いつも、先生方に感謝しています。
定年を月末に迎えた3月始め、2月に100回目の献血をした結果が届きました。
99回目は血液に何の異常も見られませんでしたが、肝臓の数値が基準の3倍ぐらいの数値でした。
慌てて、近くの医院で、献血結果を話し、もう一度検査をしてもらいました。ところが、まだ悪くなっていて、野洲病院で検査をしたら?と、アドバイスを戴きました。
目前に退職日が迫っているのに、何と言うことか?と、思いながら受診し、エコー検査を受けたところ、胆管下部にでき物が有るのか?異常に膨れ、胆汁が肝臓に逆流して、肝臓を潰しにかかっているのでは?との事でした。
胆管は、途中で肝臓からのパイプが接続し、膵臓の中で膵臓からのパイプが接続し、十二指腸に接続されているようです。
胆管下部ででき物があり、でき物を取る以外に処置が無い! 薬ではでき物を小さく出来ないとの結果を得ました。
5月には、野洲病院で、でき物の細胞を取って調べる検査を受けたところ、悪性との判断は出来ないが、この場所に出来たでき物で、癌で無いとの論文は、今まで無い事。
検査はしたが、十二指腸に繋がっている胆管の中の細胞を採るには、横に入れ無ければならず、検査での採取がうまく出来なかったと考えられる。 削除するしか無い!と、病院の判断でした。
胆管上部なら簡単で、でき物がある上下で切断して、繋げばよいが、下部であるので、大変複雑な手術になること。
野洲病院では、したことが無いとの事で、成人用センターを紹介して戴きました。
7月中旬、成人病センターに出向くと、直ぐに手術、入院は30日から50日ぐらいとの事でした。
しかし、1ヶ月後には紅峰さんのお母さんの、1回忌が予定されていましたので、先生も理解を示され、本日入院になりました。
俊丸は、手術の内容を聞いて、生きて戻れるのは、2~3割ぐらいと、覚悟を決めました。
戦後の人口激増時の最後の24年生まれ、小学校は6クラス、中学校は学年で18クラス。運動会は学年ごとしか開催できません。
高校は12クラス。大学は1学年200名。就職したら昭和21,22,23,24年生まれで1000名を越え、同年代は260名からいました。
3200名ほどの職員で、直近だけで1000名の最後の方!昇格するポストも無く、40歳過ぎまで係員。
いつの世代も、競争!競争!に明け暮れ、何とか?あがいて、退職時には課長級にたどり着きました。
40年近く、必死で働いた結果が、生き死にのかかった手術!何と!残酷な! 神も仏もいないのか?と、思ったものです。
手術は、胆管下部は、膵臓の中を通って、十二指腸に接続されていることから、膵臓の中は、パイプ引き抜けないので、膵臓上部・十二指腸を切除して、新たに膵臓のパイプ、肝臓のパイプを小腸に直接繋ぎ、胃の幽門もついでに切除するとの事。
時間にして、8時間から10時間。 こんな説明を受けて、生きて帰れるなんて、半信半疑! 先生方にお任せするしか無い!
良く今が有るものだと、いつも、先生方に感謝しています。
Posted by
私は俊丸
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15:09
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