七草粥
俊丸の両親は明治時代の最後辺りが生まれ年。
大正時代には、渡り鳥による感染病が、大いに流行ったように聞いています。
母親が子どもの頃、「唐土の鳥が、渡らぬ先に七草なずな」と、囃子ながらまな板をトントン音が出るように、七草を刻まされたようです。
そして、当方が子どもの頃、毎年6日の夜に、子ども達全員、順番にまな板をトントン音が出るように、七草を刻んだ覚えが有ります。
実際は、刻んで終わっていて、包丁でまな板を叩くだけで、声を大きく出して囃子なさい!と、何回も歌わされていました。
感染病を声を出して追い払う! まな板から音を出して驚かせる! こんな意味合いのようでした。
七草粥には、お正月で食べ過ぎた胃を消化の良いおかゆで休めるような働きも有るような事も聞いていました。
本日は金曜日。 当方らは息子家族と同居で、野洲から引っ越して来たのが10年前かな?
姫が4歳、長男が2歳ぐらいの時でした。
野洲から多賀へ通って欲しかったのですが、どうしても多賀に住むと言う息子家族と住んで、隠居生活。
家の用事は、息子の配偶者(嫁とか妻とか表現出来ない時代)が切り盛りしています。
孫が塾に通いだした頃かな? 送迎が忙しくて金曜日はご飯の日になってしまいました。
普段は贅沢食(品が多く、量が多い) 週に一回ぐらい倹約と災害時の避難訓練と思えば、どう言う事も無いと、続いています。
塾がお休みになろうが! ご飯だけ!
実際は、紅峰さんが量は少ないですが、何かしら作ったり、俊丸がインターネットで買い求めた品を出したりしています。
当方は、何時も、ご飯半膳でおかずを食べて、仕上げは漬物でお茶漬けですので、漬物さえ有ればそれで良しです。
そんな息子の配偶者が、今夕に七草がゆを作ってくれました。 有りがたい事です。
スーパーの七草セット
俊丸はお餅を入れて! お酒は薬と思って飲んでいます。2杯!
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